プロジェクトゲーム 6 記録的大ヒット
そして、地球の回転とともに月日が経過し、ダッコ社(仮名)から【プロジェクトゲーム(仮名)】が新発売された。
それから2ヶ月後・・・【プロジェクトゲーム】は記録的な売り上げのヒットになった。いやホームランと言った方が当たっているかも知れない。発売されてわずか2ヶ月で1億円の売り上げに達したんだ。
それを記念してダッコ社でパーティーが行われる事になった。
社長と僕と女性スタッフ3人がそのパーティーに参加した。
パーティーはダッコ社2階のいつもの会議室で行われた。プロジェクトゲームの担当者代表がまず記録的ヒットになった事を述べた。
「エムデザインさんに企画デザインして頂いた、【プロジェクトゲーム】がおかげさまで発売2ヶ月で一億円の売り上げに達しました。全くテレビCMもかけていなかったのにこれはボードゲームの売り上げ記録になったと思います。その為皆さんに集まって頂きここに記念パーティーを催したわけです」
そして拍手。次に鹿元社長が挨拶した。
「こうしてパーティーを開いてもらい、有難うございます。わが社はこのゲーム企画をやらせてもらいましたが、売り上げの記録的ヒットは全てダッコ社の力であります。我々はそれをお手伝いしただけと思っています」
と・・・こんな事を言った。僕は正直頭に来た。
デザインした僕はヒット作を目指してわざわざ大阪からこの仕事をやるために再上京して頑張ったのに少しは僕を誉めてくれてもいい筈だそんな事を言いたかったが言えるチャンスは来なかった。
そしてクラッカーが鳴らされみんな適当にオードブルを摘み、ワインやシャンパンを飲んだりして、パーティーは始まった。僕は19才なのでコーラだけにした。
そしてエムデザインに帰りいつもの仕事をこなしてから家に帰る。
ここまで読んだ人はこう思うかも知れない。
『ゲームが大ヒットしたんだから、企画デザインした僕達もそれなりに、儲かったんじゃないか?』
全くそんな事はなかった。普通ならゲームの売り上げに伴うロイヤリティー契約をしてれば金が入る。
それとか、プロジェクトゲームはほとんど紙製品なので、その部分は全てエムデザインからダッコ社に利益を乗せて納品する。そんな方法をとるのが普通だと思うが、鹿元社長は全くそんな事をしなかった。
と思うが、今考えるともしかして、僕にはわからないところで何かしていたかも知れない、これは単なる想像だが。またこのゲームの著作権はどうなっているのかと深追及する事もしなかった。したところで1円も入る筈が無いからだ。
とにかくこれで19才の僕がやれる事は全てやった。そんな満足感だけは胸の中に残った。
そしてまた月日は流れ、この仕事以降は大した仕事も失くなり僕はエムデザインを退社した。
更に地球の回転と共に年月が流れた。